パチンコという文化 4
ベアリングが昭和にはいってから、名古屋近辺にゴロゴロしていたことは容易に想像がつきます。
・・・このようにして終戦直後につくられたパチンコ機械は業界では「小物・バラ釘」とよばれるものです。
このことばがしめすように、この機械には円形の盤面に300本ほどの釘がうたれ、合計20ヵ所ほどの球の受け口が用意されていました。
盤面の上のほうの穴に玉がはいると、3個、中段のばあいには2個、下のほうにいけば1個、というふうに受け皿にでてくる玉の数には多少の変化はありましたが・・・
最高が3個なのですから、これも文字どおり「小物」だったのです。
ただ、ここで特記すべきことは、戦前まで子どもの遊戯具であったパチンコがこのころから大人のゲームとして定着しはじめたという事実です。
子どもの遊び道具を大人がとりあげるというのは、心理学的にいえぱ、一種の退行現象というべきでしょう。